Decadeはでけえど

今日で30代最後。かつての恩師も「Decadeはでけえど」と言っていたのでこの10年を振り返ってみようと思う。

理想の30代を迎えるべく29のときにほしかった車を買った。シビックタイプRユーロ。30になってすぐに死にかけていたねこを拾った。いわしと名付けた。車と猫が大きな縦軸になった。

仕事は26のときに転職した2社目の塾講師。前の会社よりはましだったけど労働環境は真っ黒だった。年間2桁の休日、手書きのタイムカード、気づいたら減っている有休。作業の効率化を図れば「熱意がない」と言われ、定時ギリギリで出社すれば「やる気がない」と言われた。それどころか「遅刻が多い」というデマまで流された。中山絶対許さない。

なにかひとつを極めるより手広くそつなく無難にこなすタイプのわたしは、職人気質が求められる社内では評価されなかった。別にわたしも出世する気はなかったので構わなかった。労働環境は真っ黒でも金払いだけはよかったので折り合いはつけていたつもりだった。

しかし徐々にメンタルは削られていた。気がつけばうわ言のように「はあ死にたい」というのが口癖になっていた。最後の数年は毎年のように転職を朧気に考えながらも行動に移す気力がなかったが、なんとか奮い立たせて転職活動を始めたのが2017年末。前回の転職活動のときに「次また転職するときは違う業界に」と決めていたので、サービス業、営業、地方公務員など4社ほど受け、貿易関係の会社に転職した。社長がパキスタン人だったのと夜勤だったのが一抹の不安ではあったが、面接が穏やかでウェルカムな雰囲気だったのと給料が悪くなかったので入社を決めた。

出社初日にまず言われたのが「最初の1週間は夜勤の生活リズムに慣れよう。仕事は何も覚えなくていいよ。寝坊とかしたら連絡だけほしいからLINE交換しよう」だった。超絶ホワイトだった。ゆるすぎて不安にすらなった。転職は今のところ成功だったみたいだ。2021年には完全リモートワークになったりちょいちょい大型連休が降ってきたりでホワイトぶりには拍車がかかっている。

27のときに謎のモテ期があったが、その後は落ち着いて30のときにひさびさに付き合う女性ができた。相手の親にも気に入られてたし、すぐにではないにしろ年齢的にも「この人と結婚するのかな」と漠然と思っていた。ただ「結婚したい」ではなかった。ちょっと重かった。結局この人とは1年と少しで別れた。

人生何事も経験だということで街コンに参加したりマッチングアプリもやってみたりした。自分で言うのもなんだが、要領はいいのでどちらでもわりとすんなり恋人ができた。だけどどちらも長くは続かなかった。今思えば「結婚したい人」ではなくて「付き合える人」を選んでたのかもしれない。付き合った時点でゴールだったのでその後のモチベーションが続かなかった、と。そうこうしてたらコロナ禍に入り出会いがどうこう言ってられなくなり、適齢期的なものは過ぎていった。

今はもう結婚願望はゼロに近い。そもそも子どもをほしいと思う気持ちがないので結婚に対する執着がない。長いこと塾講師をやってきていろいろな子どもを見てきた弊害である。言い方は悪いが「リセマラできない高額ガチャ」だと思ってしまっている。誤解のないように言い訳すると別に子どもが嫌いな訳ではない。人の子を見れば人並みにかわいいとは思う。ただしそれは動物園で動物を見たときと似た感情であって、家で生活を共にしたい、どんな苦労をしてでも幸せにしたい、というものではない。

歳を重ねて気づいたのだが、わたしはガチャやギャンブルを好まない人間だった。若い頃は競馬もやってたしそんなことないと思っていたのだが、徐々に自分が安定志向であることがわかってきた。好きなアーティストのライブは楽しいことがほぼ確約されてるので足繁く通うが、スポーツ観戦は負ける(楽しくない)可能性があるので徐々に足が遠のくようになった。株やギャンブルよりも投資信託やアルバイトで確実に貯金を増やすほうが性に合っていた。

そう、いい歳をして副業アルバイトを始めた。33のときだ。転職先がそのへん寛容だったのと、転職初年度は賞与ゼロで前職に比べ収入が下がったのでちょっと補填したいなというのがきっかけだった。もう2度と入ることがないと思っていたラーメン屋の厨房は、10年のブランクなど一切感じなかった。夜勤明けのランチタイムでの勤務も効率的で、多少カツカツなスケジュールではあったが予定が空いてるより詰まってることを好む自分にはちょうどよかった。あとは交友関係が広がったのもよかった。会社では同年代の男数人としか関わりがなかったのが、バイト先のおじさん社員、女子大生アルバイトなどとも仲良くなった。またラーメン屋で働いているということで自分がよく食べに行っていたお店の方ともよく話すようになった。

交友関係でいうと一番大きいのはやはり車の繋がりである。それまで乗っていたAE111繋がりも恵まれていたがFN2繋がりもまた恵まれていた。FN2を降りても車関係なく遊べる人たちが多くいてとても有難い。乗り換えたカローラフィールダー繋がりの人たちにもまた恵まれていて、そういう意味での車種選びは完璧なのかもしれない。

トレノからシビックに乗り換えて大きく変わったのは車中泊をするようになったこと。特に2018年春の転職前の有休消化期間に10泊11日の西日本周遊の旅をオール車中泊で敢行したことで価値観が変わった。フットワークがさらに軽くなり、1週間以上の長期の旅行にもたびたび出るようになった。

30になる前にFN2を買ったように、40代に向けて準備したことを挙げるとすれば家を建てたことだ。長いこと祖父所有の築年50年超え1Kアパートに家賃も払わず住んでいたが、リモートワークをするようになって漠然ともう少し広い家に引っ越したいなとは思っていた。夜勤で深夜にラジオや音楽を聞きながら仕事をするので集合住宅ではなく戸建てがいいなとも思っていた。適当な中古戸建てを短めのローンで、と。

一昨年末に祖父が亡くなった。99歳の大往生だった。長く生きた故に子(わたしから見たら叔父叔母)はもちろん孫(わたしから見たら従兄弟)も軒並みすでに各々の生活拠点を確立していた。そのため親戚一同の総意で「祖父の家を立て直してお前が住めば」という流れになった。土地は母親が相続したのでわたしはそれを無償で貸与してもらう形で上物を建てるというのは、当初の中古戸建云々よりは費用が嵩むものの決して悪い話ではなかったので、有難くお言葉に甘えさせてもらうことにした。

なので家については大きな理想や憧れはなかった。建てるにあたってこだわったのは、なるべく無駄に予算のかからないこと、メンテナンスが楽であること、寝室が真っ暗になること、ねこと住むうえでの配慮くらいだ。贅沢したのはガレージ駐車場くらいだ。おかげで月々の住宅ローン返済額は20代のときに住んでいた1LDKのアパートよりも低く押さえられた。

唯一誤算があったとすれば、かねてからの「40になるタイミングでアルバイトはやめて少しゆっくり過ごそう」というプランに「住宅ローンもあるし体が動くうちはもう少し働いておくか…」という邪念が入り込んだことである。まあこのへんは臨機応変に。様子を窺いながら。

40歳になったら。40歳になったらさすがにもう少し落ち着きたいなという気持ちはある。せっかく家も建てたことだし、家での時間も楽しめる、「何もしない」をできる人間になりたいなとは思う。物欲が強いほうではないので、大きな買い物をするよりは経験や交友関係にお金を使いたいなとも思う。見た目についてはどうやっても年相応には追いついてこないのでもう諦めた。所作だけは年相応に落とし込みたいが果たして。

とまあこんなかんじ。人生も折り返しなのでぼんやりクロージングも考えつつ、引き続き今やりたいことをやる生活をしていきたい所存。周囲の皆様におかれましては多々ご迷惑もかけるとは思いますが、年上年下関係なく温かく接していただければ幸いです。今後ともなにとぞ。あと10年経つのに一向に馴れないいわしと性格も体型もわがままなちくわ。まだまだよろしくね。

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コメント

  1. えぬ より:

    おたおめです〜(もう嬉しくないかもですが)
    おつるさんに声を掛けてもらった7年前位のあの日がきっかけで、今も色んな方々と友好的にやらせてもらってます。10年間の一部に私の大きな第一歩があると考えると、どこか感慨深いなぁと。
    いつもお世話になってばっかりで何も還元出来ていませんが、今後とも何卒‍♂️