フジファブリック休止と推し活の最後

去る2月6日(木)、フジファブリックの活動休止前ラストライブがあった。わたしは特段ファンというわけではないが、志村時代からのフジのファンの知り合いがはるばる地方から来るというので、ライブ前に軽くお茶でもということになった。

知人との久々の再会。わたしの第一声は「このたびはおめでとうございます」だった。

奇をてらったのも事実であるが、核心を外していない表現のつもりでもあった。しかし彼女はピンときていなかった。

わたしはKANのファンだった。彼女も志村のファンだった。かつて推す対象を不意に失い途方に暮れた同士だと思っていた。「推しは推せるときに推せ」とは常々言われるが、推し活の終わり方としてはかなりのバッドエンドを経験した同士だと思っていた。なので今回、正しく終了の合図を掲げた最後の晴れ舞台が見れるなら、それは幸せなことではないか。そう思っていた。

彼女はずっとフジを追っていた。もちろん熱量や距離感には多少の変化はあったとは思うが、ずっと追っていた者にしかわからない感情ももちろん持ち合わせていた。その中でもっとも大きく引っかかっていたのが、山内の性格的にバンドの活動休止というより山内自身のアーティスト活動の休止なのではないかという懸念だった。彼女はバンドの休止というよりは山内の実質引退のように捉えていたようだ。

わたしとしては引退だろうがなんだろうが生きてさえいてくれればいいとも思ってしまうが、それはわたしがファンではないからなのかもしれない。あるいは単純に性差や性格の違いによる捉え方の違いなのかもしれない。彼女は、もちろん志村のときと比べれば全然穏やかだが、しかし確実に落胆していたように見えた。

束の間のお茶会は事前物販の時間に間に合わせるように終わった。フジのラストライブは志村時代の楽曲を一切演らなかったらしい。彼女はそこにももちろん感じることがあったようだが、とにかく自分の中で折り合いをつけられていたらいいな、と思った。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする